この世のものは、どんなものでもいつかは消えて無くなる。
その無常の中での命の光を描きたい。
特に、はかなく繊細で美しいものよりも、したたかに強く生きる様を写し取りたい。
強さを秘めた命を描きたい。
なぜなら私は、繊細で美しい、はかないものより、たとえ小さく短い命だとしても、したたかに強く、しなやかに生きるものたちに共感できるから。
また描くことを通して、対象物の命や、この世の理である命の循環と対等に向き合いたい。
そう思って筆を握っています。
そして、画面に登場するものたちに私自身の感情や想い、考えたこと、日常の中で琴線に触れた感覚などを託し代弁させることもまま、あります。
この文章を書いている現時点(2012年春)では描くものはほとんどが動物画ではありますが、それは私の中にあるものの鏡でもあると思っています。(東洋画において“写意”という考え方がありますが、丁度それに該当するのかなと思います。)
生み出すものはまだまだ未熟な作品たちではありますが、私というフィルターをとおして、鑑賞して下さった方に命の光が届けば、そしてそれをきっかけに人間以外の存在に目を向けていただけることができたなら、それは私がいちばん望むことでもあります。
あと、ちょっとだけ、深読みをして描いた人間の心の機微を感じていただくことができたなら尚、制作者としてはこれ以上幸せなことはありません。
・・・など、上にちょっと自分の本心を書きました。
ですが、私はあまり、自分の作品についてや制作での研究結果、態度についてなど、熱く語ることは好きではありません。
鑑賞される方が抱かれる印象や感想によって初めて、作品は完成、完結すると思っています。
自分の意見やらを見て下さる方に押し付けるのはあまりにも、自己満足過ぎる制作態度のように思います。
あと、もっとぶっちゃけると、自分の考えを熱く語るのはなんか気恥ずかしいです。一時の気の迷いかもしれないことを人様に熱く聞かせるなんて(笑)。だから、私は時々「どーでもええやん」的なことを口走ったり、コメントに書いたり、作品を茶化したりすることもあります。でも、一応、制作中は真剣に、真摯に、作品に向き合ってるつもりです。(念のため、ここに書いときます・・・たまに真面目な熱い人からは反感をかうこともあるので(笑)。)
まあ、自分の制作理念なんてどこかに記しておかないとうまく言葉にまとめる機会などなかなかないですし、そのうち見失っていくかもしれないので。。。(見失ってしまうのもアリだとは思いますが。人間は一貫した主義主張を持つべきとも思いませんし。むしろ、変化のない人間の方が気持ち悪い(笑)。)
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